2016年4月2日土曜日

キーボード交換3回目


またまたノートパソコンのキーボードが壊れた。


このブログを読んでくれている方はご存知だろうが、僕のノートパソコンはなぜかキーボードがよく壊れるのだ。キートップがつぎつぎに外れて、小鳥がついばんだトウモロコシのようになってしまう。
これまでにも2度キーボード全体を交換し、もう大丈夫だろう、と思っていた矢先にまた壊れてしまった。
修理費だってバカにならない。キーボードを交換すると1万6000円も取られるのだ。


「どうしてなんでしょうねえ」
メイカーの修理工房の人も首をひねっている。


僕のタイピングが力強すぎるのだろうか。
「いや、ちょっと力をこめたくらいじゃ、キーは外れないですよ。重いものを叩きつけるくらいじゃないと」
いくら僕でもそんなことはしない。僕はオランウータンではない。


では、始終カバンに入れて持ち運ぶのがいけないのだろうか。
「それも関係ないです。キートップが外れることはありません」
結局、原因はまったく不明のままなのだった。ネットで検索してみても、同様の悩みを抱えている人はあまり見当たらない。買って2年で3度もキーボードを交換した人がもしいるなら、どうか名乗り出ていただきたい。ともに泣きましょう。


稲川淳二の怪談だとこうした場合、僕自身が夢遊病状態でキーボードを壊していることが多いのだが(例「北海道の花嫁」)、さて真実はどこにあるのだろう。


パソコン修理工房を出て秋葉原の町を歩いていると、その日はアニメの大規模なイベントが開かれるらしく、美少女キャラの絵のついたカバンをさげた人たちがたくさん歩いていた。なんだかとても楽しそうに見える。
結局そういう人生を送ることのなかった僕だが、僕にはない充実感のようなものを、彼らは手にしているようにも思えた。

そんなことを考えながらアトレ前の広場を歩いていると、見知らぬ男性が声をかけてきた。
なんだろう。
宗教の勧誘だった。
やっぱり僕はアニメ系ではなく、宗教系なのだな、と思った。


ところで、僕はこれまで公的にも私的にも「僕」という一人称を使わずにいたのだが、あえて使ってみるとなかなか座りがいい。異性とスムースに会話できそうだし、なんだかベストセラーも連発できそうだ。スタジャンを着て1980年代にワープした気分だ。もう俺なんていうのはやめよう。


恋について僕が話そう。
秋元康について僕が話そう。
秋元順子についても僕が話そう。
T・E・D・クラインについて僕が話そう。
太古日本のピラミッドについて僕が話そう。



喝!





そうそう。
ダ・ヴィンチ編集部編『本好きさんのための東京コーヒーのお店』(KADOKAWA)が発売中だ。
本好きが訪れて楽しいコーヒー屋さんのガイドブックだ。
僕が取材した谷中のカフェ3軒も掲載されている。
ぜひ手にとってみてほしい。





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